【前書き】
時系列は、魏のお話でスタッフロールが流れている間の出来事…と考えていただけると嬉しいです
ネタバレ要素もありますので、未プレイの方はご注意ください
凱旋のはずなのに、これでは、葬列と変わらない。
誰一人として口を開かず、隊列からはすすり泣く声すら聞こえる。
皆が沈鬱な気持ちを抱いて、馬上で手綱を握っていた。
安寧をくれる夕映えの洛陽の都を目にしても、いつものような安堵は得られなかった。
これほど侘しい戦場からの帰還は、初めてかもしれないわね。
一刀が消え、全員が意気消沈のまま魏の城へと戻ってきた。
景色どころか、蜀からの道程すらも覚えていない。
ただ、日が落ち、登る回数を数えては、一刀がいなくなってからの時間を気にしていた。
全ての争いを終結させ、残るのは、忙しくも幸せな日々のはずだった。
なのに、一番大切な者がいない。
『王が王に戻るまで』
城に入り、馬を預ける。
周りに指示を与えるよりも、自分の部屋に戻るよりも、何よりも前に、一刀の部屋に向かった。
扉を前にして、足を止める。
ノック…そういえば、これを教えたのも一刀だったわね。
無駄と頭で理解しているのに、この手は扉を叩く。
こうすれば、いつものあの声が返事をしてくれそうに思えた。
返事がないのも、部屋の明かりが灯っていないのも、一刀が眠っているから。
そう自分に言い聞かせる。
華琳「入るわよ、一刀」
いつものように断りを入れてから、戸に手を伸ばす。
扉を開くときの緊張は、比べる対象もいない。
開戦の前に舌戦をするよりも、数万の軍勢を前にするよりも、どんな猛者と刃を交わすよりも…遥かに上。
暗闇の中で目を凝らし、部屋の中を端から端まで視線を走らせる。
一縷の望みが砕かれ、血が凍りついていくようなこの感触を、私は生涯忘れない。
見知った姿は、どこにもなかった。
華琳「いない…か」
当然のことと理解していたはずなのに、視界が歪む。
後ろ手に戸を閉めるのを、涙は待ってくれた。
華琳「…ッ」
声をあげるわけにはいかない。
あの河原と違い、ここには皆がいるのだから。
息を止め、声を殺し、それでも、涙だけは堪えきれない。
どうにか寝台に倒れこんで、枕に顔を押し付ける。
鼻腔をくすぐる、一刀の匂い。
あの腕に抱かれているときのような感覚が、胸を熱くする。
目を開ければ消えてしまう、私の作りだした幻想。
全身の力を抜いて、寝台に身体を預ける。
目を閉じたくらいでは、涙を抑えることはできなかった。
あのまま一夜を明かして、一刀の部屋から私室へと戻る。
この部屋を出たときと変わらず、執務机の上には、未済の書類が山積みになっていた。
華琳「片付けましょうか」
椅子に腰掛け、一番上から順に目を通していく。
普段の倍近い時間をかけて読み解き、鈍い頭から答えを引きずり出す。
惰性で仕事を続け、徐々にいつもの感覚へと近づいていく。
紙を繰る指が馴染みの動きを思い出す。
ようやく全てを忘れて没頭し始めたころに、一つの書簡を前にして呼吸が止まった。
華琳「相変わらずの字ね」
定例となっている警邏の報告書。
目にしただけで、すぐに書いた人間が分かる。
覚え始めに比べれば幾分良くなったけど、根底にある癖は変わらない。
桂花や秋蘭よりも圧倒的に数は少ないからこそ、いつも、この字を見るだけで気分転換が出来た。
机上の山から、いつの間にか同じ字体を探して読んでいて。
気が付けば、山の中は全て目を通し終え、過去の物にまで手を伸ばしていた。
頁を繰る度に、そのときのことが浮かび上がっていく。
時間の旅路を逆行しながら、漏らすことなく書類の束を漁っていく。
目を通した書類の数なんて覚えていられるわけもないのに、自然と欠落しているものが分かる。
書類の海に潜り、その欠片を全て広い集めていく。
集めたら何が起きるというわけでもないというのに、夢中になって。
仕事を忘れ、時間を忘れ、全てを忘れ。
私は、一刀が書き上げた書簡の海に溺れた。
顔に日差しがあたり、虚ろだった私の意識が覚醒する。
気がつけば、また一日が過ぎていた。
手にしていたのは、一刀が最初に作った警備部隊の草案。
昨日のことのように思える…なんて、在り来たりな比喩表現をこの私が使うことになるなんて。
華琳「何をしているのかしらね、私は」
あれだけ強がってみせたのに、もう心が潰れかけている。
一刀の跡を、幻影を、勝手に追いかけている。
もう、どんなことをしても、あの姿は見られないというのに…。
華琳「…!」
その自分の言葉に思いあたり、机の引き出しを開ける。
中にある、小さな紙を裏返す。
華琳「かず…と」
真桜が作った「かめら」で撮った、一刀の「しゃしん」。
呉への遠征の前に、私の側近全員で撮った一枚だ。
中央に私と一刀、そこから扇のように皆が広がって並ぶ。
「しゅうごうしゃしん」って、一刀は言っていた。
華琳「だから、言ったじゃない」
華琳「縁起でもないから、行く前じゃなく帰ってきたときがいいって」
そうしていたら、この一枚も残らなかったのは、分かっているのに…。
しゃしんの中の一刀があまりにいい笑顔をしていたから、つい愚痴をこぼしてしまう。
私の横に立つ一刀は、いつものように笑っている。
この並びを魏の序列というなら、一刀は私と同位であり最高位だ。
皆に匹敵するほどの武勇もなければ知謀もない。
だけど…それ故に、ただ純粋に、誰かの笑顔のために動ける男。
だからこそ、皆が認めた。
だからこそ、皆が慕った。
だからこそ、皆が愛した。
華琳「何をしているのかしらね、私は」
その一刀を従えていた私が、何をしている?
一刀に、こんな体たらくを見せていいわけがない。
一刀に、こんな醜態を見られるなんて、我慢できない。
一刀が仕えた王が、こんなに無様でいいはずがない。
心の中で募る言葉に、感情が爆ぜる。
拳を握って突きたてた爪は、皮を裂き血を滴らせる。
激情が止め処なく溢れかえり、口を抉(こ)じ開けた。
華琳「私は、曹魏の王よ!」
華琳「一刀に、後のことは任せなさいと私が約束した!!」
華琳「約束を果たせない愚図に堕ちることは、許されない!!」
胸に溜めた空気を吐き出し、ようやく一息つく。
濁った思考が血と共に噴きだし、徐々に澄み渡っていく。
華琳「礼を言うわ、一刀。おかげで目が覚めた」
しゃしんを伏せて、引き出しを閉じる。
二日も仕事をせずに過ごしたなんて、この椅子についてからでは記憶にないわね。
一刀がくれた休息、ありがたく使わせてもらったわ。
華琳「さて…と」
布を巻いて止血を施し、呼吸を整えて集中力を高める。
一刀の書簡を全て書棚に戻し、未済の書簡を片付けるまで、一時間も掛からなかった。
廊下に出ると、書簡と竹簡を両手に抱えた秋蘭の背が見える。
戸の音を聞きつけて、秋蘭が振り返った。
華琳「迷惑をかけたわね、秋蘭」
秋蘭「勿体無いお言葉です、華琳様」
いつもの穏やかな笑みを浮かべ、軽く会釈を返してくる。
華琳「半分くれるかしら? 少しでも後れを取り戻さないとね」
秋蘭「華琳さま、もう少しお休みなされては…」
華琳「二日も休んだのだから、もう十分よ」
華琳「春蘭は、一緒ではないの?」
これだけの大荷物を秋蘭に持たせて何もしないなんて、あの子の性格からは考えられない。
秋蘭「それが、姉者は部屋にこもりきりで…」
華琳「そう」
私も同じことをしていたのだから、どうしていいのか分からない。
誰かに来てほしい? でも、あのときの私は…。
秋蘭「華琳様、姉者に会ってやってくださいませんか?」
華琳「春蘭と秋蘭が望むなら、私はかまわないわ」
秋蘭「ぜひに…」
真摯な目でそう頼まれたら、断る理由もない。
私の部屋に書簡を置き、春蘭の部屋へと向かった。
秋蘭「姉者、入るぞ」
春蘭「ま、待て秋蘭、入るな!」
がたがたと何かが倒れる音と共に、春蘭の慌てた声が響く。
華琳「何をしているの? 春蘭」
春蘭「か、華琳様!? な、なんでも…なんでもありません!!」
ここまで慌てるとなると、何をしているのか興味が沸くわね。
秋蘭「鍵が開いているのは無用心だぞ、姉者」
秋蘭が笑顔で戸に手を添える。
分かってやってるわね、秋蘭。
部屋の中には、春蘭が真っ赤な顔で腕を振り回していた。
その後ろには…。
華琳「え?」
あの白い服は、見間違えるはずもない。
寸分違わぬ縫製で作り上げられた、あの服。
華琳「かず…え!?」
下から見上げ、顔を見た途端に世界が硬直する。
華琳「これは、どういうことなの? 春蘭!」
顔の場所には丸く布が巻いてあり、筆で黒い線が殴り書いてある。
あれを、眉や目、鼻だと思えということ?
春蘭「なんでも、さんどばっく…と言うらしいです」
春蘭「これを殴って憂さ晴らしをするんです」
恥ずかしそうに頬を染めて、ぱんぱんと叩いて見せる。
あの春蘭が憂さを晴らすためなのに、あんなに優しく叩くわけがない。
とっさの言い訳としても、これでは落第点ね。
華琳「で、あなたはこれを一人で作って、夜な夜な楽しんでいたのね」
春蘭「い、いえ、そんな…」
戸惑いながらも、春蘭は否定しない。
どうやら、本当にこれを違う方法で楽しんでいたようね。
華琳「ふぅん、そう。今度は私も楽しませてもらおうかしら」
春蘭「華琳様のためでしたら、もう、ご自由に」
春蘭「後で華琳様の部屋にお持ちします」
華琳「そう、悪いわね。夜までは春蘭に楽しませてあげるわ」
華琳「秋蘭も楽しむのかしら?」
秋蘭「ええ、姉者とともに」
華琳「では、二人の邪魔をしないように、これで失礼するわ」
外へ出て戸を閉めると、秋蘭の通る声が部屋の中から聞こえる。
秋蘭「で、姉者、本命はどこに隠したのだ?」
春蘭「し、しゅうらんっ!! 声が大きい!!」
秋蘭が私に聞こえるようにしてくれているのは、分かる。
で、どうやらあれは隠蔽のための影武者らしいわね。
秋蘭「姉者の人形への造詣の深さは、私もよく知っている」
秋蘭「姉者の力作が、この程度なわけなかろう?」
春蘭「な、何を言っているのだ?」
秋蘭「私に隠し事など、寂しいものだな」
春蘭「し、しかし…これは…その…」
秋蘭「冗談だ、気が晴れたようで何よりだ、姉者」
春蘭「なにおうっ! 私は元々、落ち込んでなどいない!」
春蘭「北郷ごときがいなくなったからといって、毎日枕を濡らして泣き喚くなど、出来るかっ!!」
秋蘭「そうだったな」
そうね、春蘭には秋蘭がついているのだから、心配する必要はなかったわね。
あの二人なら、互いに支えあって、どんなことでも乗り越えてくれる。
だけど…。
春蘭の力作というのは、後でじっくり聞かせてもらおうかしら。
一刀の部屋の前を通り過ぎようとすると、かすかに話し声が聞こえる。
誰…かしら?
足音を立てぬように戸に身体を貼り付け、耳をすませた。
声「兄ちゃん、どうして帰っちゃったのかなあ」
声「ボクたちに、何にも言わないで…」
声「言えなかったんだよ、きっと」
声「どうして?」
声「兄様のことを知ったら、季衣はいつも通りに戦える?」
声「…ううん」
声「だからだよ」
声「兄様は、私たちのために黙っててくれたんだよ」
中にいるのは、どうやら季衣と流琉の二人のようね。
沈んだ声音には、いつもの元気がない。
二人とも、一刀のことを実の兄のように慕っていたものね。
流琉「だから…私たちが兄様のこと、気づかないといけなかったのに」
季衣「流琉?」
流琉「兄様が体調崩してたなんて、ちっとも気付かなかった」
流琉「食べる量も減ってたし、一人でいる時間も多くなってた」
流琉「気づくことなんて、いくらでも出来たのに…」
私が一刀のことを包み隠さず話したときに、一番悔しそうな顔をしたのは流琉だった。
武将という立場だけでなく、厨房を仕切るものとしての誇りが、流琉のことを許さなかっただろう。
一刀が無理に食べていたことに気づいて、あの子は無神経に料理をしていた自分のことを責めていた。
流琉「兄様は優しいから、誰にも心配かけないように、ずっと一人で戦って…」
流琉「誰にも、頼ったり、弱音を吐いたりしないで…」
流琉「兄様が、辛かったのに…苦しかったのに…私は気づきもしないで…」
流琉「私…兄様の役に…立ちたかったのに」
流琉「兄様のこ…と、支えたかったの…に…」
季衣「ボクだって、だよ…」
季衣「兄ちゃんのこと、守りたかったのに…」
季衣「なんにも…なんにも、できな…っく」
二人の嗚咽が、部屋の外にいる私の耳にまで届く。
自責の念に駆られるのは、何もできなかった私にも痛いほどに分かる。
だからこそ、これ以上二人が自分を責めるところを聞いていられなかった。
戸を開けると、寝台に並んで腰掛けていた二人が顔を上げる。
その頬には、涙の筋が出来ていた。
華琳「季衣、流琉、この部屋を掃除なさい」
季衣「そ、そんな…」
流琉「いやですっ!! たとえ、華琳様の命令でも、それだけは聞けません」
部屋の中を振動させるほどの大声で叫び、流琉がこちらを睨む。
そんな目を私に向けたのは、初めてね。
それほどに、この娘は一刀を慕っていた。
華琳「私に逆らおうというの? 流琉」
流琉「だって、兄様の部屋を片付けるなんて、そんな…」
季衣「そうですよ。華琳様、ここにあるのは、兄ちゃんとの思い出なんですっ!」
季衣「それを捨てるなんて…」
そう、その季衣たちの思い違いは、私の計算どおり。
だから、私は、淀みなく用意しておいた言葉を続ける。
華琳「捨てる? …ですって?」
華琳「この部屋にあるもの、一つでも壊したり捨てたりすれば、あなたたちの頸だろうと刎ねるわ」
華琳「私は、一刀がいつ戻ってきても不快でないように、この部屋を掃除しなさいと言っているの」
流琉「ぇ…」
季衣「ぁ…」
華琳「返事もできないのかしら?」
まるで、綿に水が染み込むように、時間をかけて私の言葉が二人に届く。
呆気に取られていた二人の顔に、満開の笑みが咲いた。
季衣「分かりました!」
流琉「お任せください!」
華琳「よろしい」
そう、この笑顔だ。
一刀を出迎えるなら、この二人は、この笑顔でいないといけない。
華琳「掃除が終わったら、次は料理よ」
流琉「料理…ですか?」
華琳「流琉、大陸を制覇してから、あなたは新しい料理を覚えた?」
流琉「いえ、何も…」
華琳「新たな料理一つ覚えていないようでは、一刀に会わせる顔がないわよ」
流琉「そう…ですね」
流琉「私が、兄様を喜ばせる努力を怠ったら…ダメですよね」
つぶやくたびに、瞳に本来の輝きが戻ってくる。
どうやら、自分の進むべき道が見えたみたいね。
季衣「味見役は、ボクがするからね」
季衣「兄ちゃんの好みが一番分かるのは、ボクなんだから」
流琉「季衣より私のほうが分かるもん」
季衣「ちーがーうっ! ボクのほうが分かるってばっ!!」
いつもの調子で言い合う二人を見て、踵を返す。
こうなってしまえば、もうこの二人は心配ない。
華琳「妥協は許さないわよ。後で私が確認するからね」
二人の元気良い返事に背中を押されて、私は部屋を後にした。
裏庭にしゃがみこむ、見慣れた後ろ姿。
その手に握られたものを見ると、呆れのため息が出る。
また、あの子は穴など掘って…。
華琳「罠は禁止したはずよね、桂花」
桂花「お叱りは後で頂きます。でも、今はこれが必要なのです」
そう答えただけで、桂花はこちらへ振り向きもしない。
私に対して絶対の忠義を誓うあの子の態度とは思えない、無礼な振る舞い。
華琳「どういうことかしら?」
桂花「このままでは、華琳さまに危険が及びます」
桂花「あの猥褻孕ませ男を返り討ちにするには、この程度では手緩いです」
手が執拗に土を掘り起こす。
穴は以前の大きさを越えて、それでも桂花は手を止めない。
桂花「あの男は、虫のごとく、どこからともなく湧いて出ます」
桂花「あの男を殺さずに取り逃がしたのは、この荀文若の唯一の失策」
桂花「どうか、汚名を雪ぐ機会をお与えくださいませ」
真摯な言葉を重ね、それでも桂花はこちらへと振り返らない。
手を動かし、作業に没頭し続ける。
華琳「そうね、対策は一任するわ」
華琳「生け捕りにして、一刀が私の前に平伏すように計らいなさい」
華琳「そうしたら、私がたっぷり可愛がってあげる」
桂花「畏まりました」
桂花「華琳様の願い、この荀文若が叶えてご覧にいれます」
華琳「期待しているわよ、桂花」
桂花「御意」
背を向けたままでも、桂花は臣下の礼を忘れない。
私が褒めようとして一歩前に出ると、鋭い声が響いた。
桂花「お待ちください!」
予想していた反応に従って、素直に足を止める。
これは、桂花への確認の行為。
華琳「何を待てばいいのかしら?」
桂花「連戦の直後に、このような仕事を与えていただき、今の疲れた顔はとてもお見せできません」
桂花「しばしのご猶予を…」
華琳「分かったわ」
素直に引き下がり、踵を返す。
角を曲がり、壁の影に隠れたところで足を止める。
桂花「あの…馬鹿、馬鹿、馬鹿っ…」
ただの罵倒には聞こえない、そんな、怨嗟の声。
土を掘り返す音と混ざり合うそれは、憎しみの咆哮ではないように聞こえた。
あの子の可愛い顔を見るのは、また今度にしましょう。
いつまでも話が終わらないお喋りなこの三人が、口を閉ざしたままで座っている。
姿勢は悪くないのに、その姿は生気が感じられない。
皆、泣きはらした後で、目が赤くなっていた。
華琳「町の警邏はどうなっているのかしら?」
沙和「もう、やりたくないの」
真桜「大将が大陸を制覇して、もう世界は平和になったんやから、もうええやん」
凪「我々のすることは、もうありません」
一言ずつそう漏らして、また口を噤(つぐ)む。
ここも、季衣や流琉に負けず劣らずの重症ね。
華琳「隊を統率するものがいなければ動けないなら、代わりの隊長を立てる?」
虚ろだった瞳に、今にも噛み付きそうな深い怒りが灯った。
真桜「うちらの隊長は、隊長だけや!! 他なんぞ、誰やろうと絶対に承伏できん!」
沙和「そうなの! 私たちの隊長は隊長だけなの」
凪「自分も、隊長以外に仕えるつもりはありません」
華琳「活動しない隊に存在意義はないわ」
華琳「北郷隊は、解散でいいのかしら?」
その言葉に、三人がまったく同じように眉を吊り上げた。
真桜「いらなくなったら、すぐにお払い箱かいな」
沙和「酷すぎるのー!」
凪「いくら華琳様とはいえ、そのような…」
口々に上がる不満の声に、拳を握りこむ。
骨が軋む音が、自分の耳にも明瞭に聞こえた。
華琳「死にたくなければ、言葉を選びなさい」
華琳「今、あなたたちは私の逆鱗に触れているのよ?」
三人が息を呑んで、口を閉ざす。
武人であるが故に、私の殺気が冗談でないことは分かったみたいね。
華琳「一刀が洛陽に齎(もたら)した治安は、賞賛に値するわ」
華琳「大陸広しと言えど、これほどに大きくて平穏な町を、私は他に知らない」
華琳「一刀は弛まぬ努力を重ね、長い時間をかけて、より良い町になるために心を砕いた」
華琳「その功績を気安く貶めるものは、私が絶対に許さない」
口にしながら、胸に少しの罪悪感が沸く。
これほどの仕事をしたのだから、もう少し一刀を褒めてあげればよかった。
凪「隊長をおとしめる? 自分たちがですか?」
華琳「仕事を放棄しているこの現状を、他にどう表現するつもり?」
華琳「あの男は、仕事には誠実だったはずよ」
華琳「それとも、何度も助けられたことなど、忘れてしまったかしら」
沙和「忘れるわけないの!!」
沙和「忘れられるわけ…ないの」
メガネの奥にある瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
忘れてほしいわけではない、忘れてほしくないからこそ…だ。
だからこそ、こんな形で記憶にだけ残ることは許されない。
真桜「隊長、警邏だけはクソマジメやったからなぁ」
真桜「ウチらも、部下として、もっと見習っとくべきやった」
華琳「それが分かっているなら、いつまで無様を晒しているつもり?」
華琳「北郷の教えを、あなたたち以外に守れるものはいないのよ?」
北郷の名を引き合いに出した途端に、三人の表情が変わる。
戦場にいるときと同じ、引き締まった良い顔をしている。
凪「行くぞ、沙和、真桜」
沙和「当然なの! これ以上遅かったら、二人とも置いてくの!」
真桜「ウチらの本気、見せたろうやないかい」
各々が武具を手に取り、力を漲らせて部屋を出て行く。
あの三人なら、あなたの一時的な穴もうまく埋めてくれるわ。
これでいいのよね、一刀。
中庭から聞こえてくる、風切り音。
だけど、耳慣れないそれは、私の知っている誰の武器の音でもない。
いえ、強いていうなら、一刀の…。
小走りに音のほうへ駆け寄ると、そこには舞うように刃を閃かせる霞の姿があった。
華琳「その武具は…」
一刀が使っていた木刀と同じ形状のものを握り、霞が次々に技を繰り出す。
霞「これか? これはな、一刀にウチの技を教えたとき、ウチも一刀に教えてもらったんや」
霞「見様見真似なところもいっぱいあるけどな」
華琳「そういうわりに、既に偃月刀よりもその手に馴染んでいるようだけど?」
皮肉や世辞ではなく、その技は一つの武術としての完成の兆しが見える。
壮絶な訓練の先に身に付けられるものであり、少なくとも付け焼刃には見えない。
霞「華琳にそう言ってもらえるなら、一安心やな」
手を止めるわけでもなく言葉を返し、刃を自在に走らせて、息一つ乱さない。
次々と技を披露していくが、その一つ一つの完成度の高さが伺える。
いくつかの動きは、たしかに一刀が中庭で見せたものを洗練させたものだった。
霞「戦が終わった武官が、何をして生きればええんか?」
霞「ウチのそんな質問に、一刀がくれた答えは、これやった」
自慢げに刃を振る霞の真意は、言葉足らずで計りきれない。
華琳「どういう意味かしら?」
霞「これはな、人を生かすための、大事なものを守るための、そんな一刀らしい優しい剣術なんや」
霞「ウチ、一瞬で虜になってん」
霞「心・技・体の全てを育むこの武術を、一人でも多くに教えたいんや」
晴れやかな笑みを浮かべる霞は、心から楽しそうで。
それが夢を実現させている最中の表情なのは、私も良く知っている。
華琳「あくまでも武人として…あなたらしいわね、霞」
霞「ちびっとだけ、文官に対して劣等感もあったんやけどな」
霞「武官でも出来ることがある…って、一刀が教えてくれたんや」
霞「やから、まずはウチがこの技を修める」
裂帛の気合をこめて、でも、それは相手を打ち負かすためではなく、己の全てを振り絞るための技。
そんなに清々しい顔で、人を傷つける武器を振り回せる日が来るなんて…ね。
霞「それに、一刀はウチと約束してんのや」
霞「世界が平和になったら、羅馬(ローマ)に旅しようって」
華琳「羅馬? あの西方の?」
霞「そうや、一刀と旅するんやから」
華琳「いいわね。視察の場所としては、申し分ないわ」
霞「なんやそれ!? ウチらは、二人っきりで…」
華琳「あら、私は一緒に行くなんていったつもりはないわよ?」
華琳「偶然、視察とあなたたちの旅の日程が重なるかもしれないけど…ね」
霞「ま、ええよ、みんなで行くなら、それはそれで楽しいし」
そう簡単に承諾できるのが、霞のすごいところね。
それとも、私の独占欲が強いのかしら?
華琳「それはそれとして…文官の仕事も覚えてもらうから、安心なさい」
華琳「霞なら、すぐに覚えられるわ」
霞「ちょ、堪忍してえなぁ〜」
華琳「ダメよ、有能な人材を遊ばせておく手はないわ」
拝み倒してくる霞の言葉に耳を貸さず、踵を返す。
秋蘭と桂花を教育係にして、春蘭と一緒に勉強ね。
しっかり仕込んであげるわ。
街並みでも一際目を引く建物の戸を開け、中へと入る。
広いわりに中は静かで、三人がそれぞれ椅子に座ってお茶を飲んでいた。
華琳「単刀直入に聞かせてもらうわ。新たな世話役は必要かしら?」
天和「いらなーい!」
地和「いるわけないでしょっ!」
人和「いりません」
三人が言葉を違えて、同時に口を開く。
涙を溜めた瞳には、やり場のない怒りが満ちていた。
人和「他の誰であっても、一刀さんの代役なんて務まらない」
地和「そうそう。一刀以外に、ちぃたちを満足させられる人がいるわけないしねー」
天和「そうだよー。数え役満姉妹のマネージャーは、一刀だけだもーん」
華琳「まねーじゃー?」
人和「一刀さんの国の言葉で、私たちの全てを世話する仕事のこと」
地和「そうそう、全てを…ね」
天和「一刀、なんでもしてくれるもんねー」
まったく…予想はしてたけど、商売道具にまで手を出していたのね。
どこまで腕を広げて抱きしめれば気が済むのよ、一刀の奴。
人和「それに、世話役を誰にも譲るつもりはないと一刀さんが言ってました」
人和「その言葉を私たちが信じないわけがない」
断言する人和の目には、迷いや揺らぎはまったく見えない。
人を心酔させるものが、心酔する対象…か。
不思議なものね、一刀にそこまでの魅力があるなんて。
華琳「それで、今後の予定は?」
人和「本当は、一刀さんと一緒に行きたかったけど…」
人和「一足先に、大陸全土を回ってきます」
地和「一刀が戻ってくるまでに、ちぃたちの魅力を大陸全土に知ってもらわないといけないんだから」
天和「戻ってきたら、大陸全土を巻き込んだ大舞台にする約束だもんねー」
夢を口に出して、三人の瞳に情熱が輝く。
この魅力的な笑顔が、大陸中を虜にしてやまないのは、分かる気がするわね。
人和「一つだけ、約束をしていただきたいのですが…」
人和「一刀さんが戻ってきたら、出来うる限りの最速で遣いを出してください」
華琳「約束しましょう」
華琳「そのかわり、旅先で一刀を見つけたら最優先で洛陽に戻ること」
華琳「興行も何もかも、全て中断して帰還なさい」
華琳「そちらの約束を飲むのだから、この約束も守ってくれるわよね?」
地和「何よそれ、遣いくらい出してあげるから、そっちから出向きなさいよ」
人和「その条件、飲みましょう」
目を三角にする地和を無視して、人和がうなずいて承諾する。
決定権を持っているのは、やはり三女ね。
地和「人和っ!? どうしてよ?」
人和「仲違いする必要はないわ。それに魏からお尋ね者として手配されるよりはマシよ」
華琳「聡(さと)い子で助かるわ」
私の言葉に微笑で答える人和。
ただ、それは服従でも褒められた喜びでもない…私が知っている限り、不敵な笑顔だ。
天和「おねーちゃんは、今度の興行で一刀に買ってほしいものを探すんだー」
地和「いいわね。ちぃも探そっと」
人和「大陸中にある衣装も装飾品も肌にいい食べ物も薬も、好きなだけ探せるわ」
人和「じっくり探しましょう」
声質は変わらないはずなのに、勝ち誇るような雰囲気がある。
華琳「あなたは、何を探すのかしら? 人和」
人和「ささやかなものですが、対(つい)の指輪を探そうかと」
天和「あーずるーい、お姉ちゃんもそれにするー」
地和「ちぃもそれにしよっかな」
そう、さっきのは、やはり余裕の笑みというわけね。
男と女が持つ対の指輪か、受ける女としては最高の贈り物ね。
華琳「私は、欲しいものは全て手に入れてきたわ」
人和「奇遇なことに、私も欲しいものは全て自分の手で掴み取ってきたんです」
視線を交えても、決して逸らしはしない。
私の瞳を覗き込み、臆することもなく真っ直ぐに見返してくる。
華琳「負けるつもりはないわよ? 私は…」
人和「ええ、私も…」
常勝不敗の私に挑む女…か。
今までの戦でも、負けていいと思ったことなんて一度としてないけど。
今回だけは、絶対に負けるわけにはいかないわね。
華琳「最高の舞台を楽しみにしてるわよ」
人和「ええ、必ずや満足させてみせます」
満足させるのは、私なのか、それとも一刀なのか。
面白い、実に面白い子ね。
こんな好敵手がいたことに気づかなかったなんて…久しぶりに、血が滾るわ。
書庫の中には、凛と風、それに見知った文官も何人かいる。
二人を中心にして、文官たちは忙しく動き回っていた。
華琳「どこを探してもいないと思ったら、こんなところにいたの」
華琳「何をしているのかしら?」
風「未読の文献を読みあさっているのですよ」
いつもの眠たげな顔と声でそう説明し、風が手に持った本を左の山へと置く。
右の山から本を手に取ると、小さなあくびを一つ。
風「今までに、お兄さんの世界への手掛かりは、一度として見つかってませんが…」
風「それがないと証明ができたわけではありませんからー」
ぼんやりとした表情とは裏腹に、驚くほどの速さで本が読み解かれていった。
文官たちが手際よく書棚へといれている風の左側の山は、見覚えのない蔵書。
この数日に、どれほどの数の書に目を通したのだろう。
華琳「凛は、何をしているのかしら?」
机上で地図を広げ、その上を凛の指がなぞる。
凛「大陸全土に治安の現状把握を主目的とし、捜索隊も兼任させて人を配置しています」
凛「既に、呉と蜀に協力を要請しましたので、他国も問題ありません」
凛「後は、各地の瓦版にも、一刀殿の人相書きを手配書として用意させているところです」
他に良い案はないものかと、いつもの真剣な思案顔が浮かぶ。
最善手を鋭く見据える、私の愛した瞳。
華琳「大陸中で、一刀を探すというの?」
凛「一刀殿が消えたからといって、天の国へ帰ったという事象を証明するに足りません」
凛「ですから、風は天の国に戻ったことを前提に、私は戻らなかったことを前提に対策を進めています」
凛「一刀殿が見つからなくても徒労に終わらぬように、仕事を織り交ぜています」
風「凛ちゃんは、褒めてもらいたくて必死ですねー」
凛「う、うるさいっ!!」
頬を赤くして、凛が声を荒げる。
まったく、可愛い顔をしてくれるわ。
華琳「手回しがいいのね、風も凛も」
風「我々は、曹魏の頭脳ですからー」
凛「戦友のために、出来る全ての策を弄します」
胸を張り、誇らしげに語る二人を見ると安心する。
幾多の困難を共に潜り抜けてきた戦友の能力は、私も大いに知っているのだから。
華琳「愛されているのね、一刀は」
凛「べ、べつにそのようなことは…」
凛「また広野に投げ出されていても困りますからね」
風「寝心地にこだわる風としては、あの寝台を手放すわけにはいかないのですよ」
風「ただそれだけのことです」
二人とも、態度は違えど本心を出さないところは同じね。
桂花もそう…軍師は本音をみせないのかしら。
華琳「凛、風、ここは任せていいわね?」
凛「もちろんです」
風「おまかせをー」
これで、成すべきことは成した。
後は、自分の仕事を完遂させるのみだ。
中庭から見上げると、そこには見事な円を描く月。
月のほうが、あなたの世界には近いのかしら? 一刀。
華琳「まったく…あなたが、皆にとってどれだけ特別なのか、思い知らされるわね」
どこに行っても目に付くのは、一刀の足跡。
普通では誰にも触らせないような深奥部に、はっきりと刻みこまれている。
魏の種馬というのは、あながち間違いでもないわね。
一刀は、私たちに色んなものを植えつけていった。
民に優しく、臣下に敬われる。
王としての器量だけは、認められなくもないわ。
技量はないけど、器だけは…ね。
華琳「早く帰りなさい、一刀」
華琳「私の横が、いつまでも空席な保証はないわよ」
そして、時は流れて
何もない草原に、突如として光柱がそびえる。
示し合わせたように誰もが馬を駆り、城を飛び出していった。
逸る気持ちを抑えて馬に鞭をいれ、一刻も早くその場を目指す。
息を切らせ袂まで皆がたどり着くと、光が消え失せた。
ただの足音に、鳥肌が立つ。
あの時と同じように歪む視界の中で、たしかにあのときと同じ姿を見た。
一刀「ただいま」
耳慣れた声を聞いて、胸が熱くなる。
だから、私が返す言葉は一つだけ。
華琳「帰ってくるのが遅いのよ、バカ」
【後書き】
順番が拠点フェイズの並びだと気がついたあなたは
上級者ですので自慢してください(笑)
華琳なりの愛の深さと優しさを、書いてみたつもりです
キャラへの愛着によって話の展開が違うのは
ご容赦くださいまし
私的には、やっぱり流琉が大好きです
桂花の解釈は、俺なりの解釈ですので、Sが好きな方はすみません
そして、軍師三人で並べたときに桂花だけ仕事をしてないのは
俺の力量不足です、ごめんよ桂花(笑)
こんな人和は、人和じゃない…という方、すみません
書いてたら、自然とこんな感じになってしまいました
いや、大好きすぎるんだ、人和は
謝ってばかりで申し訳ないです
エンドと微妙にずれてるのは、ご容赦いただければ幸いです
楽しんでいただけたなら、もっと幸いでございます
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